ホーム >

4.会社をつくったきっかけ

30年以上前、大学を卒業して本田技研に入社して、2年くらい経ったころだったと思います。私は自動車ボディの金型設計を行う部署で働いていました。CAD/CAMが流行りだし、3次元設計も徐々に出来るようになったころでした。

そのころ別の部署の同期の友人が私の席にやってきてちょっと気まずそうな顔をして言ったのです。「フナちゃん、それって仕事なの? 」 私はそのとき、エディタを開いてCADの簡易コマンドを作っていて、それが同期の友人には仕事には見えなかったのです。端末の画面に金型の図面を表示していなかったので、そう思ったのだと思います。

そのころは、CAD/CAM/CAEは、「コンピュータを使った遊び」と見られるような風潮で、シミュレーション結果はあまり信用されず実験結果が重視され、CAEの担当者は出世できない、と言われる時代でした。

それから20年くらい経った2010年ころ、モデルベース開発(MBD)という言葉を聞くようになり、自動車メーカーの友人から「これからの車はCADではなく、MBDで作るんだ。」と聞きました。話をよく聞いて自分なりに考えてみると、昔、よく聞いた「Computer Integrated Manufacturing(CIM)」の概念そのもののように私には感じました。

時代が熟してきた。シミュレーションがこれからは主役になるんだ。と思いました。自分も何かできることがありそうだ、と思うようになり、そのころ在籍していたベンチャー企業(先端力学シミュレーション研究所(ASTOM))の経営者に相談し出資もしてもらい、私と現専務の坂口さんの2人で会社を立ち上げることになりました。

会社名も、CIMのIを取ってインテグレーションテクノロジーとしました。

付加価値が高く、参入障壁も高いところをやる会社にしたいと思い、MBDでは「プラントモデル」を1つの軸とし、CAEでは「光学関連のシミュレーション」をテーマに掲げて会社を設立することになりました。本当にデジタルツインを実現するには、MBDもCAEも双方とも重要だと思ったのです。

会社を設立したころは、「MBD」という単語は専門の学会誌にしか出てこなかったけれど、いまは経済紙のキーワードにもなってきており、MBD、CAE、AI等の技術を融合させた取り組みが重要になると思っています。

(2024年4月)